色々なものから学ぶ。

暑いですね。

この暑さに対抗してトップ画像だけでも雪景色をお届けしようと思います。

体感温度ならぬ視感温度が少しでも下がれば幸いです。

写真は唐津焼で有名な佐賀県の唐津市。

陶芸家の工房に行く途中の駅から撮影したのですが、寒波が押し寄せ一面雪化粧。

この時(2018年2月)は本当に寒かったです。


佐賀市内と唐津市内だと方言に違いが出てきます。

同じ佐賀県内なのに意外だと思いますでしょ?

佐賀県の西端にある有田町(有田焼の町)はこれまたちょっと独特なんですよね。

これには幕藩体制が大きな要因となっております。

江戸時代の藩というものは、現代で言う「国家」レベルと同じくらいの感覚で存在した地方行政組織であり、同じ日本人同士でも仕える君主(大名)が違うだけで他国(ヨソモノ・極端な話、敵)という認識だったんですね。

藩(国家)の収入は米と特産品。

お米は全国の藩で作っている上に収穫量や相場で金額が左右されやすいため、収益の柱は特産品に注力していました。

産業を奨励した結果、漆や蝋燭、和紙や塩、砂糖、絹織物や陶磁器などが各地で作られていきます。薩摩藩の黒砂糖は米の収入より多かったっていうのは有名ですよね。

他藩の技術をなんとかして手に入れ、我が藩でも新しい産業を!

という意図から産業スパイを送り込む藩ももちろんあったわけです。

スパイによる技術漏洩を恐れ、国境(くにざかい)を厳にし、古来から定着していた領民の訛・方言をより一層浸透させて、ヨソモノの侵入を見破りやすくしていった、という経緯で現代の方言の形が出来上がっていったといわれるのが有力な説でございます。

佐賀県の有田町は佐賀藩内の中でもとりわけ重要な地場産業(有田焼)の土地だったので、クセが濃い方言となっております。

しかし唐津市内は「唐津藩」という別の行政府。

薩摩藩をけん制する福岡藩と佐賀藩のバックアップ役として、徳川譜代の面々が交代で藩主に就いていたので色んな土地の武士が移住を繰り返した土地だった性質上、濃い方言というのが醸成されなかったという経緯があり、同じ佐賀県内で方言に差が出てしまったという理由なんですね。


色々な土地を訪れる際に、ちょっとした部分からその土地の魅力を発見できます。

そしてちょっとした部分を見つける作業、癖をつけておけば、写真をやる上でもとても役に立つと思います。



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Photographer Yu Kamohara

写真家 蒲原 裕 朧写真ライフ 確固たる信念を持ち 表現を曖昧に

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